オツベルの雑記帳

足が臭い。おしゃれ曲が好き。まともな文は書けません。

優しさは虚しさになった

将来は優しい人間になろう、と決意したのはたしか小4のときだと思う。

そして、そう思い至ったきっかけは二つある。

 

単純に人から優しくされて嬉しかった、だから自分もそうなろう!みたいな理由かと思いきや、小4当時から既にオレは愛情に飢えていて、どんな手を使ってでも愛情が欲しかった。

そして自分を愛してくれる人を見つけるためには、より好まれる人間になるべきだ、それには打算的な成長をしなくては。つまり大衆から愛される優しい人間とやらにならねば。そう思った。

これが一つ目の理由。

 

愛情、優しさ、思いやりみたいな言葉は存在しない家庭に生まれたが、幸運にもそんな環境にいる自分を客観視することができたので、親の血筋や教育に飲まれず、純粋悪に染まらずに済んだ。

これが自分の支えだった。

悪に育てられても正義の心を持っているんだ!

他人を卑下して攻撃するしか脳のない家庭で育っても、ちゃんと困っている人には、見返りを求めず手を差し伸べることができるんだ!と。

これが二つ目の理由。

 

そしてこんな環境でも、頑張って優しい人でいられたら、

親から痛めつけられても周りの人には苦労は見せず

ニコニコ優しく接していられたら、

きっといつかちゃんと、誰かから愛されるんだと。

そう思って、それだけを支えにここまで生きてきた。

 

それから16年経ってようやくわかった。

これが全然間違いだった。全くの見当違い。

 

冷静になってみると、ただ優しい人になるだけでひとから愛してもらえるだなんて、考えが甘すぎた。

これはただ自嘲しているわけではなく、本当に、実際に見通しが甘かった。

 

人は成長に応じて、もっと内面を見るように変わるのだと思っていた。世間に期待しすぎていた。

 

てっきり大学生くらいからは、(全員とは言わないが)一部ルッキズムから脱する人もいると思っていた。

22〜24にもなって、顔だけで判断するアホはいないだろう。幾多の人生経験を積めば、どんなバカでも他者の内面に目を向けるだろうと。

しかしそんな予想とは裏腹に、顔面至上主義は続いていた。これが既に致命的なミス。他者への失望。

(私の大学が田舎だということもある。田舎はイケメン人口がかなり少なく、女はイケメンとの交流を経験できないため、ルックスへの執着から抜け出せない。

一方都会の私大の一女なんかは大体三〜四男のイケメンクズ男に弄ばれて、顔面で人を判断してはいけないと入学後すぐに骨身に染みる。※理由はあくまで持論だが、現状に変わりはない。)

 

しかしオレの失望はこれだけに留まらない。

なんなら、皆、年代が上がるほどに内面に目を向けるどころか遠ざかっていく。

ここで完全に心が折れた。

ルッキズムだけでもうんざりだと言うのに、

20代中盤〜アラサーになると、顔に加えて、

金、職、地位、世間体、などが評価基準に追加されていく。

 

物理的な外面に加えて、社会的な外面まで…

こいつら、いつになったら内面に目を向けるんだ…

 

アラサーになっても、小学生の''足速いやつがモテる''が姿形を変えて存在しているんだよと、小4の自分に教えてあげたい。

 

 

ここまで読んだ人は、「ちゃんと内面を見てくれる人だっているよ!!!」と反論したくなるかもしれない。

大丈夫。まともな人間だって0じゃない。

いるにはいるさ、わかっている。

 

そういう話ではない。

 

それ以外の人が、多すぎるんだ。びっくりするぐらい。

 

だからオレの信念が多くのコミュニティで通じないし、それならせめて関係のないところで生きていてくれればいいものを、彼らは急に現れて、オレの信条をぶち壊し、大事にしていた人もかっさらっていく。

 

女を殴る男。女に貢がせるだけ貢がせて、金を毟り取ったら捨てる男。

そんなクズ男に惚れる女。クズ男に乗り換えるからと捨てられる男。

顔とか全然タイプじゃなくて内面で決めたと言っておきながら、どう見ても顔と収入で選んでいる女。

医者の卵捕まえたから、と言って、身を削って長年尽くしてくれた男を平気で捨てる女。

逆に、相手がイケメン公務員だからって収入や世間体で満足して、ボロ雑巾のように扱われても付き合い続ける女。

 

こんなんばっかりだ。なんなんだ。

 

しかもこんな奴らに限って見た目はまともに見えるし、社会的に評価されていて、友人や同僚からの評判もいい。

 

 

誰を、何を、信じたらいいのか、

もうこの歳になって、何もかも、わからなくなった。

 

 

【他人を想いやれる優しい人間であれば、

   いつかきっと大事にしてもらえる日が来る。】

この一点に全賭けしてしまっていたから、それが叶わないとわかったときに全部崩れてしまった。

 

もう、人に優しくすることはやめた。

搾取されるだけなら、優しくしても余計みじめになるだけだ。

 

たまに、残りカスみたいな、カラダに染み付いた思いやり行動みたいなものが反射的に気遣いを発揮してしまったりする。

この前も、そうやって助けた相手の女性は「ありがとう」と言ってくれた。

でもオレの優しさに「ありがとう」と言ってくれた女は別にオレのことは愛さないが、金をせびったり殴ったりする男の家には帰っていく。

あわれで、みじめだな。オレも、こいつも。

 

 

yogee new waves のclimax nightの歌詞に

「目が見えなくとも姿、形、色がわかる」

という歌詞がある。

これは、二人共に盲目のカップルが、互いの顔を触り合って、確かめ合って、お互いを(見えないけど)見つめ合って笑っている様を見て書いたらしい。

これは普通に目が見えている人なんかじゃ、到底できない、敵わない愛し方だと思う。

 

オレはこんな世界に生きたかった。こんな世界の中で優しい人間になりたかった。